立場が人をつくる、について



「立場が人をつくる」


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よく聞く言葉やけど、誰もが身を持ってその言葉を使えるかと言われればそれは違うと思う。


自分の力、器じゃ務まらんと感じる位置について、それが終わる頃にはその器になっとる。そういう言葉。


そこには

逃げ出してしまいたい恐怖とか‬、

プレッシャーとか、

不安とか、

そういった心を蝕む要素がゴロゴロ転がっとって、そういうものと戦い続ける彼を想うと私は

尊敬と、

彼をすきなひとりの女としての心配と、

そして自分のこれからの人生への勇気と

でいっぱいになる。‬ ‪


メンバー全員の言葉がひとりひとりの人らしさとして胸に残るたび、あの人たちを愛してしまう。

そうしてあの人たちがBTSである前に普通の人間であることを実感するたび、勇気が湧く。

同じ土俵に立つって言ったらおこがましいけど、7人が私と同じように苦しみながらも進むなら、私も頑張れるかも。



もちろんもはや私の一部にすらなった7人が苦しまんで済むなら、そうであってほしい。ずっと幸せだけを感じとってほしい。

でもあの人たちが

その苦しみを厭わず進み続けるなら、

あるいはその苦しみを脂汗をかきながら耐えてでも進み続けるなら、

進み続けたいのなら、私はずっと横におる。

苦しみの理由であり、

苦しみを乗り越える理由であり、

進み続ける理由である、ARMYでおる。



7人がBTSのメンバーとして輝きながら同時にひとりひとりの人間として泥臭く生きとるけん、私はARMYでおりつつ、ひとりの人間として精一杯やってみるよ。

これから先たくさん踏ん張らないかん場面に直面するやろうけど、ホソクさんをはじめ7人も同じように歯を食いしばりながら多くを達成してきたことを思い出したら、

モリモリと力が!頑張る勇気が湧いてくる!

ヨーシ!頑張れそうだ!

ありがとう!!


ナムジュンもジンさんユンギさんもホソクさんもジミンさんテヒョンさんもジョングクも、私も、私のだいすきなアミ友たちも、ひとりの人間として泥だらけで踏ん張ろう!

そんで、会場で、おつかれさまって言って抱きしめあおう〜!

ヨンウォニハムケハジャウリ〜!!






楽園



すり減っていくのを確かに感じていました。



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彼の手を包んで、目を見て、


大丈夫、一緒におるよ、大丈夫よ、大丈夫。


そう言えたらどんなにいいかと考える時間をミシミシキシキシと音を立てながらを過ごす中で、あの頃の私の「すき」は、不穏な狂想曲を奏でるようになった。

今この瞬間にジミンさんに会うことがなによりもお互いのためだと、すきならば今会わなければならないと、「すき」を「会う」という形にして表さなければならないと、そう信じて疑わなかった。私は字の如く狂ったように、彼を想いながら当たらなかった東京ドームのチケットを探した。


狂っていた。冷静であればできる判断もままならなかった。いや頭のどこかでわかっていつつ、藁にもすがる思いでその猜疑心に蓋をしていた。

そうして私はチケット詐欺にあったのである。


私はあまり泣かない人間だが、あの頃の私は、常に泣いていた気がする。

外側の私は懸命にいつも通りの生活を送る中で、ふとした拍子にひとりで、友人の前で、家族の前で涙を流した。

対して内側の私は、笑顔を忘れた。涙どころか、笑えなくなった。

私の世界一すきな人が、大切な人が、無数の銃口を向けられている。撃たれている。血を流している。震えている。声にならない声でうめき、涙を流している。

悔しくて悔しくて悔しくて、悔しくて、苦しくて苦しくて苦しくて、苦しくて、心が壊れると思った。

そんな中、死闘ののち手に入れたと思った会える権利を詐欺にあったことで掴めなかった私は確かに、「すり減って」しまったことを認めざるを得なかったのである。


純粋なすきと、苦しみに耐える力が、すり減ってしまっていた。


2018年は、彼らが私からどんどん遠のいていくような不安と寂しさと、それでも会いたいと願いがむしゃらに行動した年でもあった。


蓄積したそれに、この一件はとどめを刺したようであった。

常に戦っていたことに疲れてしまっていた。

それに比例するように、いつのまにか7人を愛し続けることにさえ疲れてしまっていた。






気付けば2018/11/13、私は3階席のチケットを握りしめ、東京ドームにいた。意地だった。


あの日は最初から、どこかいつもと違っていた。あの会場にいたアミはみなそう感じただろう。「伝えたい」という気が充満していた。もちろん、変わらない愛を、である。


正直緊張していた。

不安で悲しい気持ちのまま無理やり歌う彼を想像した。今回の一件で私のすきな人に私の住む国は、私たちは嫌われたかもしれない、仕方がないけれど、でも、苦しい。この公演をメディアはどう伝えるのかな。会場外でのヘイトスピーチが激化して公演に支障がでたらどうしよう。どうかもう私の大切な人を傷付けないで。

たくさんの想いが交差して、吐く息が震えた。






杞憂だった。




上がった幕の奥、そこには確かに私たちだけの楽園があった。

7人とアミで、抱きしめ合い、互いの温度を噛みしめる時間を過ごした。

土足で踏み入られた楽園を、傷付いた楽園を、私たちの音楽にのって手を繋いで、トントン、ヨシヨシ、ギュッと修復していくようだった。


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そこは鋭い言葉も汚い目も、誰も割って入ってくることのできない私たちの楽園で、今までも確かにここにずっとあったはずなのに、私が見失いかけていたホームだった。



簡単なこと。

7人とアミがいる、それだけで、いい。

7人は私たちを愛してくれていて、アミは、私は7人を愛している。

そこに嘘はひとつもない。

温かい、虹の7番目の色。

7人にとって、私にとっての

心が帰る場所。

もう忘れない。



すべて for you

答えなんて

なくていい全ては

君の笑顔の中にある

Truth

離れていても

心と心は繋がっている

Forever 君と



みんなで泣きながら繰り返し歌った。

伝えたくて、そして自分たちに歌ってあげたくて。

難しい問題はいくつもいくつもあるけど、答えなんか必要なくて、お互いの笑顔が全てなんだよね。お互いがお互いを愛してる、想いあってる。こんなに強いことってないんだよ。私たちは大丈夫、負けないね。だいすきだよ。


ちゃんと届いてたんだね。



serendipityの最後、暗転していく中でジミンさんが口にした「会いたかったよ」。

黄色の押し花にして、大切に心に飾っている。私もね、会いたかったよ。


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きっとこれから、たくさんのことが起こる。7人にも、そして私にも。でもきっと、なにがあっても、このすきが「すり減る」ことはもうない。

もし仕事とか家族とか、もっと他に優先したい大切なものができたら。

もし7人が別の道を歩むことを選ぶ時がくれば。

その時はこのすきをまた押し花にして心に飾るよ。紫色のね。そしてたまに약속を聴いたりして、大切で愛おしいこのすきを撫でるよ。



たくさんたくさん、私にくれてありがとう。

心の帰る場所をくれてありがとう。

世界一すきな人、大切な人。

私たちの楽園は、永遠だよ。



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ラブマイセルフ

ラブマイセルフって本当に大切やけど本当に難しいことだと思います。


自分を肯定して認めてあげることは今の私にはそんなに難しいことじゃなくて割とできとると思うけど、その一歩先が難しくて、よく難しいことを考えてしまう。どうしても、他人からの肯定を求めてしまう。


私がかっこいいと思う人は、変に取り繕わんで伸び伸びとしとって、どう思われるかとかあんまり気にしてない。人に優しくて、心の余裕が言動から感じられて、何をするにも言い訳がましくない。人のすきなものを否定せんで、自分の考えが正しいと思い込まない。やるべきことはするけどそこまで自分を追い詰めたりせんで、人に迷惑はかけんけど自分がしたくないこと嫌いだと思うことははっきりそう言ってやらんで、すきなことをして、でも別にそれを私は人とは違うお洒落な人間だからってふうに思っとる感じはせん。ただその人自身をまるまる曝け出して生きとる。


かっこいいな。


こういう人は、他人からの評価を求めてない人は、自分自身を愛するってことをシンプルに達成できるんやろうなと思います。


できれば私もこうなりたいけど、でも多分これは努力でどうにかなるもんじゃないんよな。


きっと私は一生人に求められたいと思って生きていく。


やけんきっと今年も悲しいなと思うことはたくさんあるやろうし、羨んだり自己嫌悪を感じたりすると思う。




でもたぶんそれでいいって考えられるようになったのは大きい成長で、それを助けてくれたのはジミンで、ナムジュンで、バンタンで、アミたちです。

ありのままでいいんだよとかそういうありきたりな言葉じゃなくて、本人たち自身が自分を愛してあげられるまでの過程を見せてくれて、完璧じゃない自分を愛してあげることができるようになりましたって言ってくれて、じゃあ私も完璧じゃないけど自分を愛する、というよりは「愛してあげる」ようにしようって考えられるようになった。人に肯定されない自分を悲しむんじゃなくて愛してあげようって思うようにしたらすごく自分を大切にしてあげられるようになって、辛かったら休むし、なんなら辛いと思うまで自分を追い詰めんようになった。

最後の砦を他人じゃなく自分にしたら、心が萎むことがかなり減ったし、前よりも自分を出せるようになった気がする。気がするだけかもしれんけど心的にはすごい楽。楽観的に生きることを意識して過ごしてきたけど、自然と楽観的に考えとることが増えた。





ここまで読んで、ん、見覚えがあるぞと思った方、正解です。これ私のインスタ(ジミンさん垢)で2019年の振り返りとしてあげてた文章です。2020年に突入してはや2ヶ月が経ちまして、とうとう大学4年になる春!私は就活でてんてこまいなわけですが、闇雲に精一杯もがいてみた結果、ラブマイセルフについてこの2ヶ月で少しの成長があったのでそれをここに記そうと思います。




私は三姉妹の長女です。

父はヒーローでありながら寂しがりやで、母は温かく繊細な人。3つ下の妹は情緒的かつ不安定で、6つ下の妹は柔らかく、静かに泣く子です。



みんな私が守らないかん、って冗談ではなく本気で思いながら、鼻息荒く生きてきた。

「おねえちゃんやけん妹ふたりは私が守ってやらないかん。」

そして、

「パパとお母さんには心配かけちゃいかん。手間をかけさせたり悩みの種になったらいかん。頼れる長女にならな。」


共働きの両親を持つ子は、鍵っ子になる。小学生の私は一年生の頃からいつも鍵を首からぶら下げとった。朝お母さんと妹を見送った後、自分で焼いたトーストを食べて身支度をして、防犯対策でパパもお母さんもおらん家の中に向かって大声で「いってきます」を言って鍵をかけて家を出る。学校が終わって帰って来た時も、鍵を開けてドアを開けた後パパもお母さんもおらん家の中に向かって大声で「ただいま」を言う。周りに怪しい人がおらんことを確認してから家に入って鍵をかけたら、朝ごはんの食器を洗って洗濯物を取り入れたりお風呂掃除をしたりする。そうこうしとったらすぐ夕方になって保育園生の妹ふたりとふたりを連れたお母さんが帰ってくるんやけど、お母さんが笑顔でただいまを言うことはごく稀で、心底疲れた顔で晩ご飯を作る母の横顔を盗み見ながら宿題をするのが日常やった。夜寝る時、母の両隣は妹たちの場所で、私はたまに夜中、母と妹の間に潜り込んで母にくっついて寝てみたりした。


寂しかったね。よく頑張ったね。

でもなんでかこれを自分が可哀想だとかいうふうに思ったことは一度もなくて、いや確かに他の子の家と比べて自分の境遇って、って思うことはあったけど、黒い感情を抱くことはなかった。

理由はひとつで、単純に両親がいちばん辛いよねと思っとったけん。単身赴任していた父は、寂しがりやなのに私たちのためにひとり離れた場所で働いていて、子供3人を任されながら働く母はいわずもがなしんどい。そのふたりを支えられるとしたらそれは私だけだと本気で思っとったけん、できる家のことはやったしわがままも言わんやった。言われずとも一生懸命勉強したし委員会活動なんかも積極的にやった。手がかからん、だけじゃ足りんくなって、私のことを考えとる時は誇らしく思えて元気が出るような娘を目指すようになっとった。ふたりの自慢になりたかった。

私が愛情の欠落した子になることはなかった。後にふたりの仕事が落ち着きゆったりとした時間を過ごせるようになったこともあるけど、なにより、あなたはいいこね、いつもありがとう、自慢の娘よといった言葉に満たされた。しっかりと愛を感じながら育った。

父は私のヒーローで母は私の1番の理解者。心の最も深い部分にこの揺るがない愛情の基盤があるというのは、人生において本当に重要なことだと思います。両親と、まあきっとそうであってくれているでしょう、妹たちからの絶対的愛情があるからこそ、私はとりあえず何事も頑張れるんだと思う。








待てよ


両親と妹たちから愛情を得たのは、本当に私?


両親の自慢の頼れるおねえちゃん


これは本当の私?

違うよね、演じとったよね、

愛されたのは演じたあるべき姿の私。


この基盤を持ち続けるためには、ずっと、一生、頼れるおねえちゃんでおらないかんのやな。



父、母、3つ下の妹、6つ下の妹の特徴は言えたけど、じゃあ自分の特徴は、言える?



本当の私って??




就活をするとなると、「まず自己分析をしろ」と口酸っぱく言われます。自分の過去を一から振り返って、自分の今持つ価値観や概念を構築している原点をその中に見つけることで人生の軸、すなわち就活の軸を見つけるというのが自己分析をする理由のひとつ。

それをしようと思って幼少期から振り返るとまあ、上に長々と書いた感じで「自分」を感じる部分がなくて。

恐ろしかったです本当に。この21年間、私は自分を持たんまま平気な顔して生きてきたんか、と思うと自分が悲しすぎて何も言えんやった。




それを、就活中に出会ったある企業の人事の方にまるまる話しました。そしたらその人が


「あなたにはたくさん積もってるのね」


って。


「??いえ、ですから、私はここまで頼れる長女を演じてきただけで、自分というものがおそらくなくて、」


「わからない?その演じてきた時間も何もかも、今日まであなたにしっかり積もったのよ。全部あなたのものよ。何より演じようと思ったのは紛れもないあなたなんだから、全部あなたのものになったのよ。私があなただったら自分をまるごと抱きしめてあげたい。


空気を手ですくってそれを手酌でゆっくり飲み込むような、丸くて温かくて、抽象的な言葉を使ってお話をされる方やった。助けてくれて本当にありがとうございます。出会えてよかった。





2019年の終わり、自分を愛してあげることは楽に生きるための手段やった。

でも今は、本当に愛してあげられる。

自分の中には今までの経験とか過ごした時間とか感じたこととか、全部全部が積もっとる。寂しかった私。両親を助けたかった私。大好きな友達と過ごした私。大学受験に失敗した私。他にもたくさんたくさんいろんなことがあって、その全部が紛れもない私が経験して乗り越えたり喜んだりしたことで、それが積もって私は形成されとる。そう思うとなんだかわからんけど抱きしめてあげたい気持ちになる。自分が親友で、戦友で、宝物に思えてくる。

そしてこの積もったものは全部私のもの。演じた頼れるおねえちゃんも、もはや今となっては私のもの。あれも私やったんやなあ。愛されたのは、本当に私やったんや。










私の大切な人たちが、今までより簡単にラブマイセルフを体現できますように。

みんな、たくさん積もっとるよ。









また夜中に勢いで書いてしまいました

おやすみジミンさん




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